4月になった。2014年度が始まった。
僕の職場は7月が異動期なので、この4月に新たな出会いや別れがあるわけではない。なので、なにも気に留めることなく日々が過ぎていたが、2、3日前の通勤中、不格好な新しい制服を着た小中学生がご両親と出かけているのを見て「そうか、今日は入学式なんだ」と気づいた。非常に初々しく、眺めていてとても晴れやかな気持ちになった。
一方、僕が住む上石神井宿舎の隣には、東京藝術大学の学生寮があった。かなり古めかしい建物だが、たくさんの学生が賑やかに住んでいて、彼らの姿を見るたびに自分の大学時代を思い出しては、懐かしく嬉しい気持ちになったものだ。そんな学生寮は、4月に入って工事業者のトラックが頻繁に出入りするようになり、門は完全に封鎖されてしまった。そこでようやく、この学生寮が3月末をもって閉鎖されたことに気がついた。敷地の外から眺めると、壁にスプレーで「この寮に住めて本当によかったです」という落書きがしてあった。賑やかな学生達はもういない。彼らとの接点は何もなかったが、なにかとても儚い気持ちになるのを感じた。
3月20日、僕がずっと携わってきた製品の審査が終わった。職場は安堵感に包まれ、ささやかながら祝賀会も開かれた。社長もわずかな時間ではあるが会に参加して、製品の審査終了を祝った。
そんな中、同じ日の3月20日に隣の係の補佐が40歳の若さで亡くなった。当日職場に現れず、電話にも応じないので、係員が宿舎へ確認に行ったところ、部屋で倒れていたという。死因は脳溢血だったらしい。脳溢血は様々な要因から起こりうるだろう。彼はヘビースモーカーだったから、それも要因の一つかもしれない。しかしこれだけは確かだと僕が考えるのは、この職場における生活の極端な不規則さが、脳溢血を引き起こしたのだということだ。我々の仕事は名誉あるものではあるが、常に批判に晒されている。だがこの職場に生きる人間すべてが、命を削りながら製品を作っている。この事はもう少し認められていいのではないか。
喫煙所で毎日顔を見ていた方が急にいなくなってしまった。なにか儚くて虚しい。そして考える「自分の仕事って一体なんなんだ」という自問。儚くて虚しい。