熊野詣

この記事を書いているのは8月29日である。先日、京都の記事を書いてから、また筆が止まってしまった。旅の日記はひとつ書き上げるのに大きな手間がかかるので、なかなか手をつけられずにいる。
5月のゴールデンウィークは、前半に和歌山の山中をひたすら歩く熊野詣に参り、後半はK先輩・後輩Hと河口湖畔へキャンプに行った。正直なところ、このときの僕は気分的に非常にアンダーで、熊野詣に行ったのはなにも考えたくなく、ただ一人で遠くへ行きたいという思いからだった。この憂鬱な気持ちはかなり長い間引きずった。

●5月4日

朝からバックパックに荷物を詰め込んだ。事前に大まかな行程を組んではいたが、どこに寝泊まりするのかという点はほとんど決めておらず、行程3日目の夜にゴール近くの民宿の世話になることしか決まっていなかった。野営が想定されたので寝袋・1人用のシングルバーナー・小型のクッカーなどを持っていくことにした。

熊野詣とは、和歌山・三重・奈良にまたがる紀伊山地の霊場へ、ほぼ山道といっていい参詣道を歩き・登りながら参拝するもので、特に熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社の熊野三山に参ることをいう。お伊勢参りなどとともに、遠い昔から庶民に行われてきたものだが、どちらかと言うと熊野詣は修験道的な要素が強く、要は「苦労して到達することに意味がある」参詣だ。だからバス等々で行くこともできるが僕はそれを選ばなかった。いくつか在る参詣道のうち、メジャーだという「中辺路(なかへじ)」、滝尻王子から熊野本宮大社までの約40キロメートルを踏破することにした。

昼過ぎに東京駅から新大阪駅まで新幹線に乗り、特急に乗り換えて紀伊田辺駅へ向かった。紀伊田辺駅から、中辺路のスタート地点である滝尻王子へ行くバスが出ているので、田辺周辺で一泊して翌朝のバスで出発する計画だ。

新大阪駅から紀伊田辺駅へ行く特急の便が少ないので、恐ろしく時間がかかった。田辺に着いた時はすでに日が暮れていて、駅周辺でてきとうにラーメンを食べ、寝る場所を探した。はじめは海岸近くの公園で寝ようかと考えていたが、思いのほか虫と人通りが多くて、とても眠れそうになかったので、駅周辺まで戻ってきて安ホテルに泊まった。かなり古くて怪しいホテルだった。よれよれのランニングシャツを着た受付のおっさんが「ぎりぎりあと1室あります。危うく満室でしたよ」言っていた。僕は頭の中で色々なことを考え続けるばかりだったが、翌日からの戦いに備えなければと無理矢理ふとんに入った。

●5月5日

中辺路1日目である。前日に買ったパンを食べ、早々にホテルを出た。

滝尻王子行きのバスは朝9時に駅を出発する。バスの中は僕と同じように熊野詣に行くと思われる人たちで溢れていたが、彼らは滝尻王子では降りない。そのまま乗り続けて熊野本宮大社に向かうのだろう。彼らといっしょにバスに乗っていれば数時間で目的地に着くものを、40キロメートルの山道を2日かけて歩かなければならないのだと思うとさっそく気が滅入ったが、とにかくやるしかない、と気を奮い起こした。

「王子」とは参詣道の途中とちゅうで現れる小さな神社で、参拝者にとって重要な里程標である。神社といっても、小さな社殿があればよい方で、山道の中では無造作に積まれた石が王子・または王子跡だったりする。滝尻王子から熊野本宮大社まで19(?)ほどの王子がある。道中は、地図を見ながら「次の王子まであと○kmか‥」ということだけ考え、あとは無心だった。1近露王子の周辺に集落があると聞いていたので、1日目はそこで一泊することにした。

舗装された道はほとんど無く、ひたすらアップダウンの激しい山道である。同じような風景が続くのでこれといった写真を撮ってはいないが、概ね下のような道中だった。

近露王子に着いたのは17時ごろだったと思う。1日目のノルマである18キロメートルをとりあえず歩き終わった。近くに銭湯があると知って、汗びっしょりの体で訪ねた。川沿いにあるその銭湯は、薪をくべて温度を調整していて、蛇口から出るお湯が冷たかったりヤケドするほど熱かっ。しかし死ぬほど汗をかいていた僕にとっては、生き返る心地だった。

銭湯をあとにして、公園のような駐車場のような場所に移り、そこで夜を明かすことにした。五目ご飯とカップヌードルをお湯で戻して食べた。その夜、K先輩から女の子と豪華な夕飯を食べているという写真が送られて来、自分はゴールデンウィークにこんな所まで来てこんな物を食べ、いったい何をやっているんだという気持ちになった。カエルの鳴き声がうるさくてなかなか眠れなかった。

●5月6日(水)

2日目は朝5時に起きた。この日は、1日目の距離にさらに6~7キロメートルを加えた距離を歩く必要があったので、早めに動き出さねばならない。ボルシチとドライカレーを食べ、荷物を畳んで6時に出発した。

この日もアップダウンの激しい道が続く。特に熊瀬川王子の先が辛かった。熊瀬川王子を過ぎると、本来は岩神王子へ道が続いているが、数か月前の災害で崩落して通行することができない。かわりに湯川王子への迂回ルートを促されるが、ここがかなりきつい。傾斜は急ではないものの、いったいどれだけ登るのかというほど坂が続いた。

迂回ルートを5キロメートルほど歩いて湯川王子を過ぎると、今度は三越峠が立ちはだかる。この峠の傾斜が恐ろしく急である。後で聞いたところによれば、三越峠は口熊野と奥熊野の境界にあたるらしい。ここで体力をほとんど持っていかれ、いよいよ右膝がおかしくなってしまった。

昼前、発心門王子に着いた。発心門王子は滝尻王子とともに五体王子の一つとされていて、ほかの王子とは格式を異にしている。ここまで来ればゴールの熊野本宮大社まで残りわずかである。

山道からようやくひらけた景色になり、熊野本宮大社の裏手に出た。40キロメートルを踏破したのだと実感が湧いて途端に嬉しくなってしまった。

大社は多くの参拝客で賑わっていた。僕も滝尻王子でバスを降りなければ、とっくの昔にこの参拝客に混じっていたんだろう。

大社の近くでそばを食べた後、「大斎原(おおゆのはら)」も訪れてみた。現在の社地は本来の場所ではないとのことで、明治に洪水で流される前までは別の地にあったという。その地区は現在「大斎原」と呼ばれ、社殿は無いが日本一高い鳥居が立っている。

大社からバスで数十分のところに「湯の峰温泉」があり、この日はそこの民宿に部屋を取っていた。その地区には公衆浴場があって、民宿を訪ねる前にひとっ風呂浴びた。とても清潔だったし、湯の花が浮かんでいてかなりオツな風呂だった。

民宿はかなり古かった。僕のほかにも数グループが泊まっていて、食堂に集まった時は15人ほどいたと思う。ほとんどが家族連れか学生たちで、向かい隣に座っていたおっさんが唯一の一人客のようだった。配膳の人からビールを勧められたので1本だけ飲んだが、隣でそのおっさんもビールや日本酒をどんどん飲んでいて、話しかけると面倒な気もしたので、そのまま食堂を後にした。

民宿に着いてから右膝の痛みが急激に増してきて、階段の昇り降りができないほどになってしまった。明日は熊野速玉大社、熊野那智大社に向かわなければならない。早々に布団に潜った。

●5月7日(木)

民宿を8時に出て、バスが来るまでの間、また公衆浴場へ行った。この風呂は本当に気持ちよかった思い出しかない。

この日は熊野速玉大社と熊野那智大社へ向かう。3日前は紀伊半島の西端にいたが、この二社は東側にあるので、半島を丸々横断してきたことになる。ここからの移動はバスや電車を使うことにしていたので特に苦労しないはずだったが、右膝が完全におかしくなってしまって、歩くことができずずっと右足を引きずっていた。

湯の峰温泉から熊野速玉大社までバスで1時間ちょっとだったと思う。大社のある新宮市に入ってから、バスが後続の車に追突され、べつのバスに乗り換えるというハプニングがあった。運転手が警察への連絡やら別のバスの手配やらてんやわんやで、ほかの乗客が「電車に間に合わないよ!」と焦っていた。

天気が悪かったからか参拝客は少なかった。

新宮駅から紀伊勝浦駅へ電車で移動し、さらにバスに乗って熊野那智大社へ。熊野那智大社は山の中にあって、那智の滝でも有名である。右膝がいよいよ限界なのに、バス停から社殿までさらに石段を登らなければならず、手すりに掴まりながら少しずつよじ登る有り様だった。

こうして熊野三山を制覇した。紀伊勝浦駅から特急に乗り、名古屋駅で新幹線に乗換えて東京駅への帰路についた。

三泊四日のこの旅は僕の体をボロボロにした。はじめからボロボロになるつもりで発った旅ではあったが、いざ終えてみると、特に悟りを開いたわけでもなく、煩悩はなお僕の中にあった。これからまた東京という現実に戻るのだと、新幹線の中で苦しくなった。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です