熊本地震

ゴールデンウィークを利用して熊本に帰省している。

2週間前に発生した大地震は熊本に大きな衝撃を与えた。まさか故郷を阪神・淡路大震災級の地震が襲うとは、思っても見なかった。

1回目の地震は4月14日(木)21時半ごろに発生した。僕は前日から体調を崩し、帰宅するなり布団を被って寝てしまっていたので、地震のことを知ったのは翌朝の5時だった。スマホには家族から電話があった跡や友人達から心配のメールが入っていた。テレビをつけると熊本で震度7の地震が起こったと報道していた。僕は朝っぱらから家族に電話して、一応全員が無事であることを確認した。

15日の夜は同郷である檸檬と御茶ノ水で飲んでいた。まさか熊本であんな規模の地震が起こるとは‥という話をしていた。

家に帰り、そろそろ寝ようとしていた16日の1時半、父から電話があった。1回目を超える規模の地震が来た。あまりの揺れに、父を含めマンションの住民は外に飛び出した。後の報道によれば、14日のもの(M6.5)ではなく16日1時半の地震(M7.3)が本震だったらしい。外に出た父と話をする中、1時45分ごろに再び大きな揺れが来た。電話越しに聞こえる「ゴーッ」という音、ほかの女性住民の叫ぶ声が聞こえ、熊本が尋常ではない状況に置かれていることに気づかされた。

その後、父は近くに住む祖母と中学校の体育館へ避難した。この時点で、電気・ガス・水道全てが使えなくなってしまった。16日の僕は、自衛隊が行っているという給水の場所や炊き出しが実施されている場所など、様々な情報をインターネットで集めては父に送る作業に徹していた。

それから父と祖母は、1週間ほど避難生活を強いられた。しばらくしてライフラインは復旧し、父と祖母は自宅へ戻り、僕は片付けの手伝いのためこうして帰省してきたわけである。

地震は地域に思いのほか大きな爪痕を残している。実家のすぐ隣にあるアパートのブロック壁は、無残に崩れ落ちている。僕の小学校の近くにある富田薬品の建物は、2階以上のマンション部分がそのまま落ちてきて、1階の事務所部分がぺしゃんこに潰れている。

報道によると、熊本城一帯が大きなダメージを被ったほか、阿蘇神社は楼門・本殿ともに倒壊、阿蘇大橋は崩落した。阿蘇神社には東京に来る直前に訪れていて、特別な思い出があるのだが、今や過去の面影がないほどグシャグシャに潰れてしまった。阿蘇大橋は昨年の秋に帰省した際、キャンプ場へ向かう途中にGOの車で渡ったので記憶に新しい。橋が深い谷底に丸々落ちて跡形もなくなっている映像がテレビに映ったのには衝撃を受けた。

僕の親族に死者が出なかったのが幸いではある。しかし東京にいた時は「遠隔地のこと」としてぼんやりとしか認識できなかった被災地の状況を、いざこうして直に見ることができるようになると、なにか信じられない気持ちである。

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