出国

9月17日から25日まで、アメリカ西海岸沿いを旅してきた。これを書いているのは10月24日。記憶が薄れつつあるが、今日から可能な限り毎日書き、1週間程度で完結させるつもりだ。頑張るというのもおかしな話だが、頑張って書いていこう。

人生で2回目の海外である。なぜアメリカなのか。理由は2つある。

第一に、昨年のフランスは英語圏ではなかったので、英語から多少は推測できるものの言葉がなにひとつわからず、食事をすることさえ難儀だったのがトラウマになってしまった。これが今回は英語圏に行こうと考えた原因である。

第二に、東京で命を削るような仕事を続け、日々消費していく中で、自分の生きる目的を問うた時、その一つは自分がいまだ見たことのない景色を見ることだと悟った。まだ見ぬ景色としてまず考えついたのがグランドキャニオンだった。グランドキャニオンのあるアメリカは当然ながら英語圏である。グランドキャニオンは眞鍋かをりが「世界をひとりで歩いてみた」の中でロサンゼルスからツアーを使って訪れていた。ロサンゼルスの近くにはラスベガスがあり、「深夜特急」の沢木耕太郎がマカオでやっていたように、カジノを体験できるかもしれない。アメリカ西海岸に行くのなら、サンフランシスコにも足を伸ばして、ヨセミテの景色を見てみよう。そうして僕はアメリカ西海岸へ行くことに決めた。

8月いっぱいは仕事に追われていたので、9月に入ってからすぐに諸々の手配を始めた。航空券は昨年と同じくHISのWebサイトを使って予約。中華系の航空会社はレビューで散々な言われようだったので、昨年は使っていなかったが、東京⇔ロサンゼルスの往復で9万円という破格の安さに惹かれ、これも冒険のひとつだと「中国南方航空」を選んだ。

ホテルも昨年と同様、世界中の宿泊施設が登録されたagodaで予約した。これらは2度目の経験だったので、なにもつまづくことはなかった。僕にとって初めての経験になるのは、ロサンゼルス→ラスベガス→サンフランシスコというアメリカ国内の都市を、航空機を使って移動することである。ロサンゼルス→ラスベガスはデルタ航空、ラスベガス→サンフランシスコ→ロサンゼルスはアメリカン航空をHISで予約した。

なにより心配だったのは、いずれの航空券も「受託手荷物には追加料金がかかり、空港で別途手続きしなければならない」という点である。空港のチェックインカウンターで「荷物を預けたいんですが」「ここで支払うのですか」「クレジットカードは使えますか」などと問答しなければならない。果たしてちゃんと乗りこなせるのか。いくばくかの不安を抱え、出発当日を迎えた。

9月17日、朝10時に家を出た。電車を乗り継いで羽田空港へ向かう。昨年は成田から出発したので、今回初めて羽田の国際線を使うことになる。12時に羽田に着き、まず国際線ターミナルの寿司屋でゲン担ぎに寿司を食べた。これは眞鍋かをりのゲン担ぎの丸パクリである。アメリカで死んでしまったら、これが最後の日本食になってしまう。そう思って、寿司を一つ一つ噛み締めるように食べた。しかしさすが国際線ターミナル。外国人にまずい寿司は食べさせられないと考えられているのか、かなり質の高い店だった。数貫食べただけで2600円も取られてしまった。うまかったのでよしとしよう。

寿司屋を出て、次はドルを買いに行く。空港にはいくつかの銀行のほか「トラベレックス」という業者が入っている。昨年はトラベレックスでユーロを買ったのだが、後で調べてみるとどうやら銀行で買ったほうがレートが良いようだ。というわけで今回はみずほ銀行の窓口を利用させてもらった。6万円を両替してもらい、1ドル104.70円だったので570ドルになった。

12時40分からチェックインなど、出国の諸々の手続きを始めた。飛行機の出発は15時40分なので、ぴったり3時間前である。昨年は出国手続きにかなりの時間がかかったのを覚えていたので、余裕を持ってのことだった。しかし今回は全部で1時間もかからず、出国審査に至ってはガラガラで、すぐに出国できてしまった。しかたないので搭乗ゲート前のベンチに座り、1時間近く時間を潰した。気分を高めるために数日前から「深夜特急」の1巻、香港・マカオ編を読んでいて、これを読み終えるうちに搭乗が始まった。

16時、離陸。1時間ほどしてまずナッツと飲み物が出され、コーラをお願いした。次いで30分後に飯が出た。牛か魚かを選べ、肉にした。まずいまずいと聞いていたが、たしかにうまくはない、だが食べられないほどでもなかった。ライス、牛肉を煮込んだもの、ニンジンとブロッコリーのボイル、コッペパン、サラダ、フルーツ。場末の弁当屋の出す弁当のようだった。

それから目的地まで3時間かかった。出発前に買った川端康成の「眠れる美女」を読んだり、寝たりして過ごした。

中国時間の19時40分、広州白雲国際空港に到着。ここでは入国審査と同じようにパスポートをチェックされる乗換手続きがあり、特になんの心配もせずパスポートを係員に渡した。すると繰り返し「ウィーサ(?)を見せて!」と言われ、寝耳に水だった。ポカンとしたままでいると、確認の結果、結局ウィーサなるものは要らなかったらしく、そのまま奥へ通された。「ウィーサ」とネットで調べてもそれらしいものがなにも出てこず、なにが起こったのかいまだによくわからない。

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21時から搭乗開始。機内はわりと新しかった。昨年のタイ国際航空のエアバスと張り合うぐらいだろうか。いずれにせよ、レビューにあるような「恐ろしく古い機体」ではなかったので安心した。しかし、席の周りにいたアラブ人なのかインド人なのか、中東系の男達が離陸前からかなり騒がしかった。何人もいたので恐らくツアー客だと思う。席の前後でお菓子を交換し合ったり、お菓子を配り歩いている者もいた。お前ら遠足か、と言いたくなった。

21時半に離陸し、1時間経って飲み物が出された。ビールをお願いすると、「鈍生」と中国語で書かれた缶ビールを渡された。純生ではなく鈍生である。いったいどんな意味なのだろう。しかしぬるくてコクもなく、まずかった。

23時には飯も出され、牛か魚かを聞かれた。もしまた肉を注文したら、さっきの便とまったく同じメニューが出てくるのだろうか、気になった僕は今回も肉を頼んだ。すると先程とは微妙に異なる構成で、ビーフストロガノフ的なもの、マッシュポテトを固めたもの(?)、ニンジンとブロッコリーのボイル、パン、ケーキ。それらだけで満腹だったが、さらにクラッカーも用意されていたので、一枚だけ食べてみた。味は至って普通のクラッカーだった。飲み物は赤ワインをお願いした。

それから機内の明かりが消され、次の飯までの長い長い苦悶の時間が始まった。まず映画「海街ダイアリー」を見た。広瀬すずら今をときめく4人の女優が出ている映画だが、なにか釈然とせず、感じるものがなかった。3・4時間ほど寝たあと、今度は昨年末に公開されたばかりの「ちびまる子ちゃん」の映画を見た。シンプルに良い話すぎて、何度も泣きそうになった。

7時にようやく明かりが点けられ、飲み物が配られた。コーヒーを貰ったが、腹が張って苦しかった。何時間も座りっぱなしで、満足にトイレにも行けない環境はかなり酷である。8時から朝食が出された。豚かオムレツかということで、オムレツをお願いした。やはり、まずくはないがうまくもなかった。

10時40分、中国とロサンゼルスは15時間の時差があるので、ロサンゼルス時間の19時40分、ようやくロサンゼルス国際空港に着いた。日付はいまだ日本を発った日と同じ9月17日の19時40分というのが重要である。17時間以上飛行機に乗っていたのに、時計は出国から4時間しか経っていない。早速時差ボケに悩む体にムチを打ち、入国審査へ向かう。

ところがこの入国審査、恐ろしいほど長い列を成していた。チェックが厳しいのか一向に前へ進まない。飛行機に乗っていた時から腹が張って苦しかったが、列に並ぶ前にトイレで事を済ませておくべきだったと後悔した。2時間近く列に並び、21時半にようやく出国審査を終えた。審査のおじさんはムスッとしながらも、「Only one person?ノートモダチ?」と日本語を織り交ぜてくるあたり、好感が持てた。

翌朝6時半の便に乗ってラスベガスへ向かう。ホテルで休む時間はないので、空港内で夜を明かすことにしていた。まず国内線ターミナル(このターミナルは「トム・ブラッドレーターミナル」という格好いい名前がついている)内の売店でミネラルウォーターを買った。これが僕のアメリカにおける初めての買い物になった。ミネラルウォーターを飲みながらベンチに座り、ぼーっとしながらひたすら夜明けを待った。長い長い9月17日は、ベンチの上で終わりを迎えた。

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