「ルドルフとイッパイアッテナ」みたいな題名だが、当の主役の猫たちは追々登場する。
今日は昼一から神保町を訪ねた。
神保町へはちょくちょく通っている。しかし神保町が本の町だというのに、古書店の中へ足を踏み入れることはそうそうなく、目当てはこの町のあちこちにあるカレー屋である。
いったい何度神保町へ行ったろう。西武新宿線で新宿まで出たら、都営新宿線に乗り換えて神保町に降り立つ。いつもはA7出口を出て「さぼうる」や「ミロンガ・ヌオーバ」でコーヒーを一杯‥なんてのがお決まりのコースだ。だが今回は違う。A5出口を出て北へ進むのだ。神保町のカレー屋はひと通り訪れたはずだが、1軒だけ有名どころを逃していた。路地裏に黄色い看板が目印の「まんてん」である。
まんてんはスパイシーなカレー達とは一線を画す。まんてんのカレーソースは黄金色でドロドロと濃厚で、いかにも昭和の食堂のカレーライスというか、おばあちゃんのカレーといった様相。しゃもじでペンペンと塗り固められた丘のようなライスにダッとソースを掛けるのも、なんとも昭和風で、無慈悲に置かれた透明のお冷グラスとカレー皿が並べば、なにか哀愁を誘う雰囲気を醸し出す。
550円の大盛カレーを平らげ、汗を拭いながら店を出た。時刻は13時。病院が開くまで2時間はある。神保町に来るのもこれが最後になるかもしれない。そんな思いがよぎって、僕は真面目に古書店巡りをすることにした。
とはいえ、神保町が扱う古書のほとんどは専門書であって、文学の文庫本なんてものはそうそうない。あったとしても、僅かな量が店先のカゴに「1冊100円」と無造作に並べられ、長い間日光に晒されてきたのか背表紙がほとんど真っ白になったりしている。
あちこち歩いてみる。どの店にあってもカビ臭い店内を地下まで降りていくのは、まるで大学の巨大な図書館の中を冒険しているような気分にさせてくれる。しかし文庫本はなかなか見つからない。ようやくカレー屋「エチオピア」隣の、文庫本を扱うことで有名な「文庫川村」に辿り着いた。
所狭しと並ぶ文庫本。1冊手に取ってみると、「昭和十二年 第◯版」とか書いてある。戦前の文庫本だ。恐ろしい年月を経て今この棚に佇んでいる。悠久の本との出会いは、それを書いた人との出会い、そしてその本を手に取り継いできた人々との出会いを含んでいるかのようだ。僕は、カミュや太宰の本を1冊100円で購入した。どれも昭和五十年代の版である。僕が生まれる前から誰かが読み続けてきたのだろう、そしてこの本棚にそっと眠っていたのだろう。
15時、病院へ行く。2か月の長い休職は、今回の海老原先生の言葉で終わることになる。「元気そうですね。これなら復帰は大丈夫でしょう。緊張はあるでしょうが、皆さん経験されることです。安心してください‥」薬の服用はまだまだ続けなければならないが、一つのトンネルを抜けたような気がした。
夜は檸檬と飲む約束をしていた。2時間ほどどこかで時間を潰さなければならない。僕は最近足を運んでいる「アルル」という喫茶店を訪ねた。
新宿の外れにあるアルルは1978年に創業された。「めぞん一刻」に出てきそうな、80年代初頭の喫茶店の雰囲気を色濃く残したレトロな場所である。
なによりも目を引くのは2匹の店員‥店じゅうをあちこち我が物顔で歩き回る「石松」と「次郎長」という猫だ。いわゆる「猫カフェ」が、猫と戯れる時間に応じて料金を払わなければならない、猫がひとつの商品と化しているのに対して、石松と次郎長は立派な店員さんなのである。石松は玄関の中から客が来るのをじいっと見張っているし、次郎長は店先のベンチの上にずいと座って、客を出迎えている。
いつもの僕は、歩き回る彼らの姿を遠目に見ながら、それだけで癒やしを感じていた。だが今日は違った。僕のソファの上で、石松はぐっすりと寝ていたのだ。石松を起こさないように席に座り、石松を撫でながら、コーヒーをすする。石松は時々ふわ~っと伸びをするが、やっぱり起きない。いつの間にかコーヒーも冷たくなってしまい、気がつくと石松の寝顔を見て2時間が経っていた。動物の寝顔はたまらなくいい。
「今から池袋に向かう」と檸檬から連絡があった。もう行かなければならない。僕は石松を起こさないようゆっくりと立ち上がり、アルルを後にした。