新宿歌舞伎町のはずれにあるゴールデン街。あかるい花園3番街に、すずというバーがある。初めて訪れたのは今からちょうど1年前の、じめじめした梅雨の時期だった。市ヶ谷に本社のある同業の知り合いと飲んでいて、お互いに未経験だったゴールデン街に行ってみよう、ということでふらりと入ったのがすずである。そのバーは5人も座れば満席という狭い店内で、物静かなママ(誰かが美魔女と言ったことがあった)が切り盛りしている。
それからしばらくは訪れていなかったが、この冬が明けたぐらいから思い立ったように通っている。ママからしばしば「もっと若い子がやってるところに行きなさい、若者」と言われたこともある。しかし懲りずに何度もお店に足を運んだ。いったいなぜ僕はこの店に通うのだろう。
花の金曜日である。この日、すずで一人で飲んでいたところ、仕事上がりの檸檬がやってきた。0時近くになって檸檬を新宿駅に送ったあと、またすずに戻って飲み直した。この日のママはいつもと少し違っていた。僕がビールを一瓶飲み干すと、頼んでもいないのに冷蔵庫からまたビールを取り出し、なにも言わずに栓を開けた。そして二人で乾杯をする。
それが何度か繰り返されたところで、またママがビールを開けようとするので「ママ、頼んでないよ」と言うと「お金いらないから」とママは静かに答えた。
気づけば4時になっていた。閉店時間を2時間も過ぎてすずを出た。それからの記憶はあまりない。僕は西武新宿駅のシャッターの前で倒れていて「ここで寝ないでください!」と駅員に起こされた。
「あなたは乗り越えなければいけないわ」とママは言った。そんなことは十分わかっているのだ。しかし僕は、やはりママになにかの姿を重ねているのかもしれない。