12月8日で33歳になりました。
斉藤和義の歌に、数多の才ある人びとが偉業を成し・あるいは成して死んでいったことと対峙し、では自分は?と問答する詞があって、
『ターミネーター』は30
『タクシードライバー』が34
『ET』はなんと35
『無責任野郎』は36
『ナウシカ』は43
『七人のサムライ』が44
『北の国から』は46
『ふぞろいの?』が49“ブライアンジョーンズ”27 ”ジミヘンドリックス”27
“カートコバーン”27 ”ジャニスジョップリン”27
“ジョンレノン”40届くか? 届いたのか? 追いついたか? イヤ気のせいか?
斉藤和義「いたいけな秋」
間に合うか? 追い抜いたのか? そんな訳ねえか? もう遅いのか?
届くのか? 届いたのか? 追いついたか? イヤ気のせいか?
間に合うか? 追い抜いたのか? そんな訳ねえか? もう遅いのか?
こういうことって誰でも考えるのでしょうね。人はどんどん歳をとって偉人と自分を比べ、なにも成し得ていない自分が顕になり、嘆く。
かの有名なアクションスター、ブルース・リーは32歳で死にました。美人薄命という言葉もあったりして、その意味とは少し違いますが、すばらしい才能を持った人間というのはなかなかどうして短くして命を落としてしまう運命です。
そんな大スターの死を尻目に、僕は32歳をあっという間になんのドラマもなく過ごしきってしまい、ああやはり自分はただの凡人なのだということを痛感させられる次第です。
◇
32歳は特に著しく停滞した一年、なにも成し得なかった一年でした。そもそもコロナウイルスによって世界のすべてが停滞しました。僕はあいかわらず心の病が災いして、入った会社を半年で辞め、今は新たな方向性を模索中ではありますが、ずっと暗闇の中にいるような気分です。
これから33歳、34歳、そしてずっと先もなんら成し得ないまま朽ちてゆくのではないかと思って死にたくなることがありますが、折りに触れ”ゴッホのエピソード”を思い出しては、勇気をもらうのです。
ゴッホのエピソードというのは、 画家として長い間くすぶり続け、30代になって大成したというゴッホの僕が好んでいる小話です。29歳になった際の日記にその記述があるので、引用してみます。
何よりも驚いたのは、ゴッホが画家を志したのが27歳の時だということである。人生は30歳から始まる、それは最も活力に満ちているからだ、というようなことも言ったらしい。ゴッホは結局、精神に異常を来して37歳で自殺してしまったから、その格言に100%の説得力があるとも思わないが、彼が画家として業を成したのは確かだ。僕は今まで、人生のピークは20代にあると考えていて、その20代が終わろうとしていることに一つの絶望のような気持ちを感じていた。ゴッホの存在は僕を勇気づけてくれる。人生はもっと面白くできるのかもしれない。
晩白柚東京譚 「29歳になって」
人生は30歳から始まる、それは最も活力に満ちているからだ。今の僕には心に強く響く言葉です。人生が停滞していたっていい、活力のある今ならいくらでも取り返せる。そんな気さえしてきます。
◇
僕には32歳で死んだブルース・リーのような非凡の才能があるわけではありません。ゴッホのように大成できる気もしません。まして世界を変えられる力もありません。
そんな凡人の僕にも自分を変えられる力はあると思っています。自らをよい方向へ変化させていくことこそ凡人に突きつけられた至上命題ではないでしょうか。
11月なかばから、社会保険労務士の資格を取るために勉強を始めています。しかし思考緩慢が邪魔をして、知識がまったく頭に入ってきません。早くも挫折しそうです。
それでも、今ここでくじけてはいけないと強く感じます。人生が停滞していたっていい、活力のある今ならいくらでも取り返せる、という言葉ばかり信じて何も動かなければ、結局はなんら業を成せず、朽ちていくばかりであることは明らかです。
33歳の一年は、凡人として業を成すために自分自身と戦います。