妻籠旅行

7月25・26日は長野県南木曽の妻籠宿に行ってきた。
妻籠宿は江戸時代に整備された五街道のうち、中山道にある宿場街。以前「男の隠れ家」という雑誌で妻籠のことを知って以来、ずっと行きたかった。前の3月に一度、旅行の計画を立てたが、体調を崩して断念した経緯があった。今回ようやく決行することができた。

25日朝11時、「特急あずさ」新宿発松本行へ乗車。

道中はいつものように缶ビールを飲み、寺山修司の「ポケットに名言を」を開いた。この本は実家にもう1冊持っている。2008年に福岡から東京へ自転車の一人旅に出たとき、北九州の公園で男性から貰ったものがそれである。精神年齢の低さゆえに、その旅ではまったく読まなかった。当時僕は20歳、男性が29歳だった。僕が26歳になって彼の年に近づき、改めてこの本を携えて旅に出たいと考えて、出発前に新宿の紀伊國屋で買ったのだ。

特急あずさは長野県松本市まで向かうが、南木曽へ行くためには塩尻という駅で名古屋行に乗り換えなければならない。塩尻の時点で13時半だったと思う。ここで昼飯を食べることにして、駅の脇にある定食屋に入った。塩尻は鶏の山賊焼きが有名で、これを食べることにしたが、いわゆる山賊焼きといえば照り焼きのようなものを想像していたところ、巨大な唐揚げが出てきた。後に調べると、山賊焼きには2種類あって、西日本を中心に広まっている照り焼き風のものと、長野県を中心に広まる唐揚げ風のものがあるらしい。美味しかったが胃がもたれた。

塩尻駅から南木曽駅を目指すが、先の台風のため、中央本線の線路が土砂で潰れているとのことで、まさか南木曽手前までしか列車が進まないという事態に陥った。臨時バスを駆使しながら南木曽へ向かう。予想以上に時間がかかり、到着したのは17時だった。南木曽駅に停まるタクシーに乗り「大妻籠の○○って民宿に行きたいんですが‥」と伝えると、わりと有名な民宿だったようで、運転手のおばちゃんは把握してすぐに出発した。

僕が泊まる民宿は「大妻籠」にあり、妻籠宿の中心から少し離れているが、ここもここで古びた建物が並んでいて風情があった。

民宿の女将さんが驚くほど若い方で惚れ惚れしてしまった。すでに18時をまわっていて「お風呂入りますか?」と尋ねられたが、僕はとりあえず夕飯を食べることにした。しかし、当然だが夏真っ盛りのこの日はかなり暑く、どこから見てもびっしょり汗をかいていたと思うと恥ずかしい。

僕は二階・縁側沿いの部屋に通された。僕のほかに2人一組が二組、計4人が泊まっていたが、すべて外国人だった。一組は老年のご夫婦、もう一組は僕と同年代の若い男性。夕飯を食べる座敷で5人揃ったので、あわよくば声を掛けたかったけれど、まさか全員が外国人の方で、しかも彼らが話す言葉はどうも英語ではなく、何語で話せばよいかもわからず、声を掛けることはできなかった。しかし皆とても親切で、お茶を取ってくれたり、カタコトで挨拶をしてくれた。
夕飯を食べたあとは、部屋で本を読んでゆっくりと過ごした‥が、昔ながらの建物には外との仕切りにフスマしかなく、蛍光灯に尋常ではない数の虫が寄ってきた。20時を過ぎ、とてもではないが灯りを点けておくわけにはいかず、早々に寝てしまった。
翌日は朝8時に朝食をいただき、10時にはぼちぼち出発した。とにかく女将さんともっとお話したかったのが残念だった。

この民宿の一階には囲炉裏もある。夏なので火は点けられていなかったが、冬に来れば囲炉裏を囲んで旅人と話ができるかもしれない。

それから、前日には時間が無くまったく見ることができなかった宿場街の町並みを見ることにした。

f:id:b3rd:20140727101833j:image:w360
f:id:b3rd:20140727102334j:image:w360
f:id:b3rd:20140727102629j:image:w360
f:id:b3rd:20140727102818j:image:w360

14時にそば屋でビールと蕎麦を食べた。宿場街のそば屋で飲むのはだいぶん粋な行為であった。

15時、坂下駅から中津川駅経由で名古屋駅へ向かう。やはり片手に持っていた缶ビールのお陰で若干酔いが回って眠くなり、道中ほぼ寝ていた。

名古屋駅から新幹線で東京へ。中央本線の線路が潰れていることもあって、往路と同じ道を帰ろうとは思えなかった。
昔ながらの景観が遺されていたと思う。だがやはり長野、次は雪化粧した町並みも見てみたい。

帰りは新横浜駅で降り、7月に九州から出てきた同期の女の子と2人で飲んだ。色々と愚痴を言い合い、共通の問題意識があったことを確認できた。0時前帰宅。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です