阿蘇・熊本地震の爪痕を辿る

晩白柚です。

11月8・9日にかけて、阿蘇方面にキャンプに行ってきました。その模様をお伝えしたいのですが、その前にひとつ書いておきたいことがありますので、筆をとります。

なぜ僕は阿蘇方面にキャンプに行ったのか?それは、先の熊本地震による崩落で長い間不通だった国道57号がようやく開通したからなのです。

熊本地震で阿蘇方面へ向かう国道57号は分断されていた

2016年4月14日21時26分と16日1時25分に、熊本県を中心とする熊本地震が発生したのはご存知のとおりです。このうち16日未明の本震によって、南阿蘇村を通る国道57号が土砂崩れで分断されるとともに、その隣にあった阿蘇大橋が谷底へ崩落したのです。

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在りし日の阿蘇大橋(画像はWikipediaから)

この国道57号の分断と阿蘇大橋の崩落によって、われわれ熊本市民が阿蘇方面へ向かうためには、これまで様々な迂回ルートを通らざるを得ませんでした。

10月に国道57号が復旧

4年が経ち、今年になっていよいよ阿蘇方面への交通に復旧の目処が立ってきました。土砂崩れによって不通となっていたJR豊肥本線は8月に、先に書いた国道57号は10月に開通しました。

そして復旧とともに、震災遺構として遺された土砂崩れと橋の崩落現場に、ふたたび足を踏み入れることができるようになったのです。

崩落現場

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阿蘇大橋の崩落現場

上の写真は立野方面から河陽方面を見た阿蘇大橋の崩落現場です。写真の真ん中に、谷底に向かって崩れ落ちている橋が見えるのがわかりますか?

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橋の西側の山が土砂崩れした跡

橋の西側には土砂崩れを起こした山があります。上の写真の左右を走っているのが、阿蘇方面へ向かう国道57号で、長年に渡って通行ができないほどに土砂に埋まっていました。

崩落した橋の跡も土砂崩れの跡も、生々しいほどリアルな地震の爪痕が残っており、われわれを震え上がらせます。

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崩落現場は展望所として整備され、祈念碑が立っています。この崩落に当時大学生だった男の子が巻き込まれ、地震から4か月後に谷底で発見されるという痛ましい事故も起こりました。

一人の尊い命がここで失われたと考えると、地震は本当に恐ろしいものであり、常にわれわれは畏怖の心を持って自然災害と向き合い、備えていかねばならないと考えさせられました。

新たな阿蘇大橋は来年開通予定

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新たな阿蘇大橋

新しい阿蘇大橋は旧橋から南へ600メートルほどのところに建設され、2021年3月に開通予定です。たとえ崩れても人びとはみずからの手で何度でも再生させていく、そして人の営みは続いていく。そこに人の力強さを感じました。

キャンプの記事を書く前に、まずは地震の爪痕とその恐ろしさを皆さんに伝えたかったので、この記事を書いた次第です。写真では生々しさがちょっと伝わりづらいですが、もし熊本を訪れた際はこの展望所にも寄ってみてください。

長くなりましたので、また次回。

1987年12月8日、熊本生まれ。高校時代から「晩白柚」というハンドルネームでブログを書いていました。長らくうつ病性障害を患っています。好きなものはビール、ひとり飲み。

2件のコメント

  1. 自分の友人がすぐそばに住んでいましたので良く覚えています。新たな大橋を建設してるんですね〜

  2. たつもさん
    コメントありがとうございます。
    あの辺りには大学生が暮らす学生村があり、そこのアパートが倒壊して亡くなった方もいらっしゃいます。亡くなった方のためにも記憶を風化させてはいけないですね。
    新しい阿蘇大橋も見てきましたがほぼ完成している感じでした。交通の便がぐっと良くなると思いますよ~

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