明日の夜、カンボジアに向けて出発します。
旅行が好きだと謳っておきながら、海外の地を踏んだのは過去に2回、一昨年のフランスと昨年のアメリカだけです。しかしささやかな自慢なのは、いずれの旅においても、パックツアーなどを使わず航空機から宿の手配まですべて自分で行ったということです。
旅の原点は、大学2年生の時に福岡から東京まで3週間かけて行った自転車の旅です。就職してからもしばらくは国内旅行が主でした。しかし、27歳の時に沢木耕太郎の「深夜特急」を読んだことは大きなターニングポイントになりました。海外には僕の知らないなにかが溢れている。それらをこの目で見て、もっと人生の糧を増やさなければ‥。
そうして人生ではじめて訪れたのがフランスのパリでした。海外ではじめて見た風景は、エトワール広場の凱旋門の上から覗く、シャンゼリゼ通りをはじめとしたパリの街並みです。9月だというのに冷たい風が吹きすさび、顔に当たるのが心地良かったのを覚えています。海外旅行の原風景、といえばこの1枚になると思います。
昔話が過ぎました。フランス・アメリカを経て今回の旅はカンボジアになりますが、なぜカンボジアなのでしょうか。
ひとつに、これまでの海外旅行がキリスト教圏を巡る旅だったので、次は仏教圏へ行きたいというのがあります。フランスで見た修道院や宮殿は「ヨーロッパへ来たんだなあ」と思わせてくれる荘厳さを持っていました。一方、インドや東南アジアの仏教遺跡は、日本やヨーロッパとは明らかに異質な建築様式です。いつだったか写真で見ましたが、巨大な仏頭が木の根の中に埋まっているというような場所があるらしく(これはタイ・アユタヤ遺跡のワット・マハタート)、そのスケールたるや、日本にいてはまったく想像に及びません。ぜひともこの目で確かめてみたい。
もうひとつ、この旅は「インドへ行く前の肩慣らし」であるということ。「晩白柚東京譚」でも何度か述べていますが、僕は最終的にインドへ行きたいのです。けれどインドと言えば灼熱の太陽の下、衛生環境は良くなく、少し気を緩めるとたちまちトラブルに巻き込まれる、というイメージが付きまといます。沢木耕太郎はインドへ行く前に東南アジアを訪れた。僕もまずは砂埃舞う途上国で肩慣らしをするのだ‥。そんな思いで、カンボジアを選びました。
余談ですが、僕は英語をまるで話せません。いや、まるで、というと語弊がありますが、稚拙な中学英語を並べることしかできません。読み書きはある程度できるのですが、いやはや、まさに我が国の英語教育の弱点が露呈した格好です。しかしフランス・アメリカに比べてカンボジアの方々は僕と同じようにカタコト英語でしょうから、一周回ってなんとかなるのではないかという気がしています。むこうの方々とどんなやり取りをしたのか、面白おかしくご報告できたらと思っています。