「ボツにしたネタ」その二です。11月下旬、佐賀県唐津市へ行ってきました。
この小旅行は、唐津に住んでいる大学時代の友人に案内をお願いしました。このネタをボツにした理由は、友人であるその女の子と過ごす時間があまりにも楽しすぎたため、それに浮かれて写真をまったく撮っておらず、読者の皆さんに紹介する内容が薄すぎたためです。
あまりの浮かれっぷりに前日からまったく眠れず、当日の朝はほとんど一睡もしないまま高速道路を2時間飛ばして唐津へ向かったという有様です。我ながら中学生なみのピュアさでお恥ずかしい限りです。
呼子の朝市とイカ
唐津観光といいながら、唐津市からほど遠い「呼子町」で開かれる朝市を見たかった僕は、彼女に無理を言って朝8時に集合をお願いしました。活イカで有名な呼子の朝市通りでは、水揚げされた魚介類や農産物を売る露店が早朝から並ぶのです。朝9時だというのに市はたくさんの客で賑わっていました。
呼子に来たからにはイカを食べずに帰れないということで、友人の彼女御用達「大和」というお店へ。呼子で食べるイカと唐津で食べるイカには雲泥の差がある、と彼女が言っていたとおり、ここでの活き造りは僕の中のイカという存在を大きく覆しました。
口の中へ放り込んだあと、舌に吸盤が吸い付いて飲み込めないイカは、兎にも角にもこの先の人生で現れないと思います。
曳山展示場と唐津くんち
満腹になったところで、唐津市の中心部へ戻ります。
まずは曳山展示場。唐津では11月のはじめに例大祭「唐津くんち」が行われます。この唐津くんちで街中を練り歩く山車の一種が曳山(ひきやま)です。
少なくとも熊本市に山車祭りはないので、山車に馴染みのない僕にとってはとても迫力あるものでした。もっとも古い曳山は今から200年ほど前に製作されたもので、修理や塗装を繰り返しながら現代に受け継がれているらしく、ロマンを感じさせます。
大島小太郎と高取伊好の旧邸
次に訪れたのは展示場の隣りにある旧大島邸。
実業家で唐津の近代化に尽力した大島小太郎の旧邸宅、とのことですが、ここを訪れた時は大島小太郎がどのような人物なのかよくわからずにいました。あとになって調べたところ、この大島小太郎という人は高橋是清のお弟子さんのような存在だそうです。
高橋是清といえば第20代内閣総理大臣である以前に、大蔵大臣を長きに渡って務めた親しみある人物ですので、高橋是清の薫陶を受けたとあっては、彼にも親近感を覚えずにはいられません。
旧大島邸の規模はわりと小さめですが、次に訪れた旧高取邸の敷地はとても広大です。唐津の炭鉱王として名を馳せた高取伊好の自宅兼迎賓館です。
館内は写真撮影禁止なので残念ながら写真をまったく撮っていませんが、本当にここは自宅なのかと思わせるほど大きな能舞台や、今も色鮮やかに残る板戸絵など、見ごたえ十分となっています。率直な感想を言えば、この旧高取邸が唐津観光の中でいちばん、というほど素晴らしい施設でした。
唐津城
最後に向かったのは満を持しての唐津城です。
廃藩置県の後、一度姿を消し(解体)、戦後ふたたび博物館の体で模擬天守が建造されるなど、熊本城と多くの類似点があって、少なからず親近感が湧きました。丘の上に築城された平山城なので、天守閣の最上階からは玄界灘が一望できます。
近づかまほしきひと
すべての行程を終えてホテルに一旦車と荷物を置き、繁華街へ出て彼女と飲みました。学生時代には聞けなかった話をいろいろとぶつけることができて、内容はさすがに割愛しますが、この上なく楽しい時間を過ごせました。
吉田兼好は徒然草の175段で「近づかまほしき人の、上戸にて、ひしひしと馴れぬる、またうれし(かねて近づきになりたいと願っていた人が、上戸で酒のせいでぐんぐんと親密になるのもまたうれしい)。」と言っています。
彼女は上戸ではありませんが、少なくとも僕はそういう心持ちでした。酒の力を借りて親密になるのは浅ましいことでしょうか。僕はそうは思いません。相手が男性であれ女性であれ、酒のおかげでお互いのことを理解し合えれば、これほど嬉しいことはありません。僕は彼女ともっと飲みたいと思いました。
(2017年11月25日)